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ココロイキ男児立志出興関 学若無成不復還 埋骨何期憤墓地 人間到処有青山 by釈月性 5/18/2006 名刺と空気と公園とセントラルパークへ行こうと
トランクを開け探し物を
名刺入れが出てきた
懐かしい頂いた名刺を一巡し見返す
二回目。
三回目。
徐々にその方々の顔
そして一緒に築いた仕事
そして完成したプロジェクトが思い出されてきた。
あのプロジェクト一つ一つに思い出の数々が。
残り1時間になっても繋がらない5000万以上する機械達の春眠を覚まそうと
祈りながら無力の自分をSEや現場対応の熟練者に何かできることはないか
必死に捜し求め、涙、鼻水、流血お構いなしに動き続ける1時間。
人の祈りを刻一刻と削り取っていく暴君との戦いを他所に
関係各所、連絡が逐一自分の携帯に。
何個も持ったバッテリを変えながら充電し、バッテリアダプタをぶらさげ、
書きなぐったノートと脳みそで整理し指示を出し、横でイケルぞってな感じを目を見せてくれる最高の上司。
リミットの極限まで粘り、一方でシステム切り替えを断念し旧システム作動の準備を指示を出していく
あのスリルは今ここにはない
成功し、無事、みんなの思いをつなげてくれた機械達
たまに愛を見せないとスネて黙りこくってしまう機械達
ネットワーク、それに関する機械。ネットワーク屋は人間を扱うように大切に扱えと教えてくださった鬼と慈悲の客先の課長
そんな素晴らしい言葉も今ここにはない
理論と数字を展開し黒板と議論の空想理論
自分が求めていたものはこれなのか?
これが必要なのか?
現場でこれは伝わるのか?
そんなものは一切お構いなしなのか?
それがビジネスってやつなのか?
名刺たちが語りかけてきた10分間
腐った自分に
新鮮な空気を
愛を
空間を
2/23/2006 姿勢とはトリノオリンピック
今回のオリンピックほど退屈なものはなかった
けどね
やりましたよ
荒川選手
金メダル
しかも
フィギュア界アジア人初だそうです
と同時にやっとこさ日本がメダルをとりましたわ
荒川選手、演技が凄いのは選手として当然だと思うんですね
だけど
感動したのは
彼女が表彰台に立った時
彼女は国家を歌っていた
1000年の歴史ある歌を
国歌を
今日本では国歌斉唱のとき、国歌も歌わなければ国旗にさえ礼を払わないらしい
どうやら個人の自由、人権の自由においてしなくて良いといってるらしい
はひ?
個人の自由だ?人権だ?
国家なくして自由があるのかい?人権があるのかい?
世界に出てみなさいな、全ての自由を奪われそして、無残にも殺生されている人もいる
自由というものは国を想って、平和であるからこそ、その代価として
自由を手に入れられるんだって事だと思うんだよね
なにもしないで、個人の人権、自由に触れるから国家、国旗、そして国歌は歌わない
そんな人は“ご自由”に日本から出て行ってください
入りませんそんな“日本人”は。
ボクは今、アメリカで生活している
正直アメリカ人は不思議ちゃんが多い
でもね
でも、彼らは国歌に対する礼を知っている
少なくとも日本人よりだ。
この大学にいて外から日本を見ていると、
感じることはただ一つ
日本人は日本のことを世界一嫌いなのではないかと
国歌、国旗、国家を敬わない
国旗が燃やされて怒りを感じない国民は恐らく先進国というジャンルで分けた場合日本は現在最低民族だと思う。
国旗、国歌に対して不満がある人に言いたい
あなたが荒川選手のように金メダルという素晴しい評価を世界からもらった時、
あなたは何を歌い、何を想うのですか?
何に対して胸に手をあてるのですか?
そしてボクから提案があります
是非、国歌国旗を掲揚斉唱されている時、
下手なラブソングを歌い、国旗を堂々と燃やしてほしい
安い歌を歴史のない陳腐な歌を熱唱してください
それができないなら自由、人権の元になんて言わないで欲しい
そんなこともできないチキンは黙って寝てろ
これがボクの意見です。
自由とはそれほど重く大きいモノなのだとボクはいろんな人に教わりました。
日本人だけじゃないよ、バックパッカーで旅していた時にも
色々な人にそして素晴しい人たちに。。。
もうちょっと長く書きます
うちの大学にベトナムから来ている学生がいます
彼は陽気なヤツですが、国の話になると急に顔が変わります。
彼の国では公に賄賂が当然で、国家に対し、文句や態度を取ると
牢屋にぶち込まれるそうです。
でも彼は最後に言いますよ
国を愛していると
国を愛すること
決して簡単なことじゃない
彼に比べてボクなんかまだ
楽チン 楽チンチン
荒川選手
貴女の素晴しい姿勢で国歌で歌っていただいた姿勢に
感謝します
日本をここまで創り上げるためにどれだけの人が死んでいったか
その人たちに対する子孫としての最低限のマナーやモラル
理屈は入りません
ただ国を愛してくださいね
9/27/2005 グランドボクの窓からは
ちょっとした木に囲まれたサッカーグランドが見える。
サッカーは本当に楽しいスポーツで、他の大衆スポーツと比較すると
非常に疲れる球技だけど、総勢22人でずーっと動きっぱなしで
遊べる楽しいスポーツだと思うんだよね。
ボクがサッカーを始めたたのは小学校3年生。
別にサッカーにもならないほどタダの玉蹴り。蹴っては22人で走り回る、といった
感じだったかな。
4年生になって小学校を転校してから、友達と遊ぶ機会を求める
つぶらな子供がとった行動はサッカー団に入ること。
入ったのは良かったんだけど、結構強いチームでA~Dチームまである
すんごい大所帯のチームだったんだよね。
それでも小学校6年生にAチームに入り、なんとか試合に出る楽しさと練習の辛さを交互にしながら乗り切ったものですわ。
そうそう、各小学校の少年団じゃなくてクラス対抗大会みたいなやつがあって、駒場競技場で試合したな~。いいグランドだったな~。
まー中学校は当然サッカーに明け暮れ、高校では体を壊して
リタイヤですわ。
関東大会でやった駒沢競技場はよかったな~
あそこもいいグランドだった。
んでもって大学のサークルでサッカーをやり
会社に入ってから、グループ会社参加のサッカー大会に出たりして・・・。
我孫子のグランドなつかしい~
もちろん腰をかばいながら、ひざをかばいながらやるから
もう、フルで力を出すことって出来ないんだけど
(あとは中学三年のときにやった手術のせいかな~)
なんだかんだお遊びサッカーしかできなくなった、この体。
もう気づくと30歳。
小学校3年生って何歳だっけ、えーっと計算するのがめんどいので
ともかく20年以上はやってるかと。
もちろん色々途中あったけど、これだけ続けてる趣味ってないかなって。
今は秋。
グランドの色もほのかに黄色になってきたかな。
それでも
木で囲まれたグランドにはまだ、緑の色が敷き詰められている。
グランド
っていいね!
■サッカー経歴
小学3年・・・初蹴り
小学4年・・・浦和の小学校サッカー団に入り楽しさを覚える小学
小学5年・・・やっとこさBチームに昇進
小学6年・・・浦和のブロック地区の選抜に
中学1年・・・サッカー部に所属、控え選手だけどチームメンバーに登録される
中学2年・・・毎日の練習に疲労感
中学3年・・・天下!でも体を壊し最終試合は腰に注射を打ちながら。。。
高校1年・・・関東大会4位それでも体を壊して退部
大学1年・・・サークルに入りお遊びサッカーに夢中
大学2年・・・サークル長になるがサークル費申請を忘れて廃。まいがっーー
社会人・・・会社に入り会社の主催するグループ会社参加のサッカー大会へ
これ思い出すだけで時間かかった。。。
もう古い記憶を思い出すのは大変だわ
9/13/2005 昭和ストーリー(#しらんがな!)沖縄の空は
どんなブルーな気持ちでも 夏 という気持ちを届けてくれる。
大学四年の夏
就職活動が終了し、もう後はひたすら夏を満喫するだけとなった日本の学生は、もう無茶と言う言葉しか知らない。
一番仲のよい友達と一緒に始めることになった沖縄のリゾートホテルで
ウエイター。
やったこともないのに、“東京で”なんてつけただけで簡単に採用決定になったことに、都会のすごさを感じるアホ二人。
それでも往復飛行機賃は自腹、泊まる寮も自腹。ということを差し引いても
二人は
あの 夏 を感じる為に飛び立つことになりました。
飛行機から見る海の色はもうまるで表現できないほどの光を放ちっていた。
いざ、ホテルについてみると、本当にいろんな人が各地から集まっていた、
これこそ、リゾートバイトって感じだね。
彼らの大半はリゾートバイトにつかっていて、夏は海、冬は雪のあるところに集合するらしい。
彼らはいつでも水の如く集まり去っていくのが流儀なのかもね。
仕事時間は夕方18時から夜中24時。
朝、11時くらいに目覚め、一緒に行く人の車に便乗。
いなかったらローカルのバスで移動。こっちのほうが、海をゆーっくり見ながら
行けるので沖縄満喫ですね。
ついたら、速攻で、仲良い友達達が働いてるバーカウンターへ。
そこでもう、食いたい放題、飲み放題。
でもSHOTGUNをやりすぎて、1時にはダウン。。。
目の前にある子供プールでプカプカ浮きながら、
連れの友達と一緒に 吸い込まれる空に向かって、顔を映してみる。
ちーんっ
あっという間に 夏オトコの 出来上がり。
16時頃、起きて制服に着替えたら
夕食を食堂でそーきそばを食べたら仕事開始!
フランス料理に所属していた為、ほんと身だしなみはおっそろしく気を使い、ちょっとしゃべり方も気取った感じでtalking。
来るお客のほとんどは学生がメイン。それも彼女と一緒に。。。
はー
当然彼氏はめっさBIGな態度。もう見るからにして無理してること
間違いなし。でもねーわかっちゃうのよ、だっておいらも東京で学生してるからね。無理して、ワインリストを要求して、こっちが勧めたキチガイ価格のワインしったかで、頼まなくていいのに。。。
面白いほど、満足感をくすぐってあげると、彼氏は注文してくれるのである。
エヘヘ
最後にワインをルームサービスに如何?なんて勧めるとまじで注文する・・・
お金大丈夫かい???
なーんて、あくどいコトしてたけど、もちそれに似合うサービスはしてましたよ。
でもね、たまに廊下で会うと、有難う!って言ってくれる彼氏とかいて、
結局はこんな学生が求めているサービスっていうのをホテルってしてないんだなってことを感じる。
今でもたまに東京のホテルに彼女と泊まると、結局気取りすぎた、もう学生では手の出せないサービスを出してくる。
いいだけどね、出し方にもうちょっと気をつけた方が、
“彼氏”と呼ばれる男の子達は女の子にサービスできるんだけどね。。。
っておいておいて、もう24時が過ぎると後は料理長が作ってくれたマカナイご飯を頂きます。当然ワイン、カクテル、ケーキは飲み放題。
バーテンしてる人たちがいろんな試しカクテルを作るから、飲む方が追いつかない。。。
みんなでワイワイ話しているともう2時近く。たまにリーダーが夜中にBBQするぞって言うともう大変。
沖縄では夜中BBQするのが結構普通らしく、もうみんなべろんべろんなのに
海辺で肉を食ってるのか、人と話してるのか、挙句は海にプカーって浮いてる人とか。。。
夜中繰り広げらる楽園ぱーちーですな。
たまにあるのがルームサービスのお仕事。
当然ルームサービスもフランス料理担当者として部屋に行くこともある。
目指すはチップ獲得!もちろん淡い気持ちを持ちながら部屋にGO。
って色々書いたけど
やっぱし公共の場所で正確に書くことは非常にモラルに反しているので
つまらん文章になりました。
ってか書いていて書きたいことが書けないのが公共というところなんだなって・・・。
9/9/2005 昭和ストーリ(ー#忘れた・・)大学四年生になり就職活動本番へ。
今みたいにオッソロしく早くはなかったが、当時としても以前と比べ
青田刈りなどという言葉はあったかな。
まだ会社案内等は葉書が主流で、リクナビなるWEB系のものは
知っている人しか使っていなかった。実際、ボクの周りでも
皆無だった記憶がある。だってパソコンを家に持っている人のほうが
まだ少なかった時代だったからな。。。
GW前には7会社くらいだったかな、内定をもらった。
就職活動先は正直決まっていなく、まったくばらばらの業界を受けた。
一番悩んだのは当時一番好きだった、華やかな業界であった。
ファッション系などはまじで悩んだが、給料が安いことが異様に気になっていたので、趣味として活かそうと決心しアテンドしなかった。
・自動車業界(日本を支える業界と思っていたから)
・出版業界(本当に本が好きで関われることと、ある思惑があったから)
・IT業界(これから必ず必修になるであろう業界知識と思ったから)
・製造業界(自動車産業と同じだがもっと根本的な日本の基幹業界だったから)
こんなかんじだったかな。。。
でも結局就職したのはIT業界の会社。
これは恐らく直感的な感覚で選んだに近い行為だった。
それでも内定をもらってからは
オッソロしいほどまた遊びまくった。
当時付き合っていた彼女と別れ、フリーになったことを良いことに
時間をおもいっきし堪能した。
例えば
ジムに通ってめっさ体重を落とし60kg→50Kgまで減!
そっから筋肉つけるぞーってトレーナーに指導を受けて
最終的に110Kgくらいのベンチプレスを挙げるところまで成長。
もちろん有酸素運動も欠かさなかったので
めっさ足が速くなっていたかもしれない。。。
だって朝のクラブ帰りの青山を猛ダッシュしたあの件はすごかったし・・・。
もちバイトもいろんな職を体験。
迷惑かけちゃいけなかったから、固定したバイトしかしなかったけど
世の中にはオッソロしいほどの職があることを堪能。
・事務系(ひたすら書類作成。。あー事務作業は無理だって悟った瞬間)、
・TVイベント系(なんかコンパニオンの人達の影のバトルが楽しかったかな)、
・広告イベント系(ゴルフ接待はやばすぎた。。。まじで。)、
・工事現場系(日本の構造状況を教えてもらったかも)、
・引越し系(なんかおもろい人の引越しが多かったので他人の生活を見れたかも)
・自動車系(あー車ってほんと日本の産業だなっておもったかも)、
・ちょっと怪しい系(言えんがな!)、
特に測量のバイトはまじで面白く
当時汐留あたりは未開発地域で、開発案が出されていたんだけど
あそこの測量したの(もちただのバイトなんで大したことしてないけどね)、ボクなんだよね。。。知ってる人は知ってると思うけどあそこのエリアは非常に車が飛ばすエリアで、何回か轢かれそうになったのも事実。
そうそう、夏休みのバイト先に選んだのは友達と二人で
沖縄のリゾートホテルのバイト。
これがおもろすぎておもろすぎて沢山良い思い出ができたので・・・
次回書きますわ。
9/6/2005 コメの生活アメリカに戻ってきてまだ一ヶ月も経っていないのにはやくも
コメコメWants病です。
MarketingではNeedsとWants、MicroではDemandとSupplyが・・・
なんてうるさいこと言ってましたが
結局生理的欲求ほど計り難いものはなく、
くいてー
と思ったら
それが最高のポイントになるんですね。
アメリカ炊飯器を購入しようかと企んでいるんだけど
どうも高くて$100+輸送費を考えると
ちょっと欲求を抑えてしまいますわ。
誰か安い炊飯器売っているところしりませんかね~
日本のコメというか食文化は
日本に帰ってから思ったけど
やっぱし、異常ですね。
まだまだ
日本は幸せな国です。
コメー!!!
9/4/2005 久し振りにkiyomiさん
7月にコメント書いていただいたみたいで有難うゴザイマシタ!
気づかず放置プレイで申し訳ありませんです。
今セメもどうかどうか
ヨロシクお願いしますね~
さてこんな久し振りにブログをつけるっていうのも
なんだか不思議なもんで、2ヵ月ごとの更新っていうのもおつなもんですわ。。。
学校が始まり今セメスタートです。
早速授業の展開に、展開できない脳みそがいる。
そんな脳みそをよそに授業が進み、宿題が重なり
人生の重みを感じてしまう。
そんなことをよそに他の生徒もおっそろしい宿題をもらっていることに気づく。
コンピュータメジャーではないのに突然あるソフトを利用して作ってくるように
指示を受けたとか。。。
以前IT関係で働いていたのでわかるのだか、素人相手に
アプリケーションを利用して何かを作ってくるようにと指示を出すことが如何に
くだらなく、如何に意味のないことかボクには多少わかっている。
なぜなら
今回作ってくる人達はこれらを作ることを指示する人であって、作る人ではない。もしこれを作る場合、専門の担当者が如何に早く作って正確なものを
納品するかが、彼らの仕事であり、授業であると思う。
ボクは彼らに最高の手(知り合いのSEにお願いする)を貸さなかった。なぜなら
ボクの最高の手を貸してしまうとすぐに終わってしまうからだ。
だから必死に必死に手を探す行為をするようにお願いした。
なぜならそれが最高のトレーニングであり、仕事につながるからと思ったから。
こんなにえらそうに書いているが
これが仕事の割り振りってことだっていうことは、仕事をしている人なら
分かってくれると思っている。
専門の担当者が専門の仕事をして専門分野の最高の結果を出す。
でも宿題だし、、、って言うかもしれないけど
これはどう考えても宿題の許容範囲を超えている。
なぜなら!!!
この学校のコンピュータメジャーの連中さえ、そして
学校のHELP-DESKでさえ、知らないと言っただから。
恐らく彼らは知っているだろう、それでも
知らないと言った結果が出たのだから、間違いなくビジネスメジャーである
彼らがやる宿題ではないと思う。
ってなんか久し振りに
しかも他人の宿題に切れた
っていつも他人の心配して
自分のことを何もしない自分がここに。。。
はー
おいらの宿題やらないと。
ってことで
今セメ頑張ろう!!!
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